空soraって・・・ほんとはどこにある?

元々ある本来の幸せ感をそ~っと感じてみる、なんとなく試してみるガイドブック。

ガイドブック ページ49

ラマナ・マハルシ - Wikipedia は、

「わたしは誰か」という問いかけを推奨しました。

つまり

「わたし」という感覚を探すならば、

この「わたし」はどこにもなく、

「わたし」というものは初めからなかったことが理解されます。

 

達磨 - Wikipedia は、

悩み多き皇帝の相談に対して、

悩みを消してあげるのでその悩みを目の前に出しなさいとこたえました。

いくら探してもみつからない皇帝は、

「探せば探すほど静かになり、悩みは消えて失せた。思考を使って考えれば考えるほど悩みは大きくなった」と言いました。

 

仏陀の教えのなかに

「歩いている行為はあるが、歩いている人はいない」

「考えるという行為はあるが、考えている人はいない」

「瞑想という行為はあるが、瞑想している人はいない」

というのがあります。

これは、

「歩いているのは、どちらの「わたし」だろうか」という問いと同じです。

歩いているのは肉体のわたしであって、

本質のわたしは「なにもしていない」。

その本質はただ在るだけ、です。

 

これらの真理を深めれば深めるほど、

人生に起こる苦しみ、悲しみ、葛藤などに影響されず、

いままで味わったことがないぐらいの「自由」があります。

ひとつの悟りです。

 

もし「わたし」という感覚がなければ、

「苦しみはあるが、苦しんでいる「わたし」はいない」ということになります。

また、本質のわたしに苦しみを探してもみつからない、ということも体得できるかもしれません。

日々気づきをもって忘れず。

「どちらの「わたし」だろうか」と問うことを続けることによって

人生のあらゆる問題から解放され、

真の自由である覚醒が起こるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ガイドブック『なにもない それ』から著者の了承を得て転載しています。