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海と空と青

元々ある本来の幸せ感をそ~っと感じてみる、なんとなく試してみるガイドブック。

ガイドブック あとがき

ガイドブック

いかがでしたか。

このガイドブックの言葉は、思考が騒がしい時にはあまりピントこないかもしれません。

まったく何も響かないページも多々あるかもしれませんが、安心してください。

それもプロセスのひとつです。

あなたに心がけてほしいことは、今より思考をほんの少し減らして静けさを感じようと決めるだけです。

「常に静けさを感じよ」と言っているわけではありません。

思考を少し減らして静かな心境で、このガイドブックをよんでみる時、今まで気づかなかったことや、魂がハッとするような気づきを得られる場合が多いです。

頭の理解とは比べようがない気づきが、予測なしに起こります。

そう言い切れるのは、実にたくさんのそういった体験をした方々をみてきたからです。

ガイドブックをよんで、それを感じていくといつの間にか思考が減って静かになっている自分を発見するでしょう。

そしてまた、いつものように思考が騒いだりして静けさから遠ざかったように思えますが、これもプロセスのひとつなので大丈夫です。

静けさの中に包まれてはそれから醒め、また静けさのなかに戻る・・。

このくり返しであなたは、深い気づきが起こり覚醒へと向かうことになるのです。(正確には既に覚醒していることに気づくことになります)

 

このガイドブックの使い方は、あなたの使いやすいように工夫して使っていただくことが望ましいと思います。

例えば、仮にあなたが友人と葛藤しているとして、相手の態度に腹立たしく思い一日中そのことについて考え捉われています。そのような状態において、このガイドブックはさまざまな捉われからの解放をもたらせてくれます。

本質を感じて一体になるには、ある程度思考が少なくなっている状態でなければ、本質の静けさそのものを感じることが容易ではありません。

その思考を鎮める方法として、このガイドブックに述べたいくつかを紹介しましょう。

ひとつ目は、「明日、あなたは肉体を去らなければならないと仮定します・・・・・」これをよんでいくうちに、いまの葛藤などどうでもよくなるかもしれません。

静かに残された時間を過ごしたいと望むとき、自然に思考を使わなくなるので、その捉われから少し解放されるのです。

ふたつ目は、「起こることすべてのことは神の意志によるものだ」という、インドで約五千年以上前から存在している「ヴェータンダ」という教えです。

このガイドブックには

「わたし達がともに暮らしている一人一人を通して神はわたし達を試される」や

「すべての問題をあるがままにしておきなさい」

「神は完璧です。神は間違わない」

「神がすべてを創造しているのであって、わたし達が考えて行動している訳ではありません」などのページを開いてみていただくと、わかりやすく説明しています。

この教えを日に日に深く感じていくうちに、あなたの思考は以前とは比べものにならないほど静かで、外の状況にいちいち捉われなくなるでしょう。

 

また、あなたの本質にダイレクトに触れ、感じる方法もたくさんガイドブックに記されています。

どの方法がよいかは、あなた自身がその時々によって感じて決めてもらえるとよいと思います。

参考までに選んで申し上げますと、

「友人を腹立たしく思っているのは、どちらのわたしか」

「葛藤しているのは、どちらのわたしか」

これらを問いかけて本質を感じてみてください、触れてみてください、
一体となってみてください、。

また
「友人のことについて、色々思考が湧きあがってくるがこの思考はどこからくるのか」これをみていくうちに、源(本質)を感じることができます。

「友人と葛藤しているわたしは存在しているのか」と問うことによって「わたし」を探してみることになりその結果、なにもない源を感じることができます。

あなたから友人に対する欲求のあらわれである「なぜ、そのような態度に出るのか、そのような態度をするべきではない」が、どこから生じてくるのかをみる方法や

(あなた) マイナス (欲求)=
静かに本質を感じる方法など、色々記されています。

何通りかの方法を一度に試すよりも、ひとつかふたつの方法を集中的に活用して、効果が薄れてきたら別の方法へチェンジする方がうまくやりやすいですし、深い気づきが起こりやすいようです。

 

あなたが思考に捉われることがひとつのクセになっていることをみてみましょう。

たった5分間でいいですから、自分の本質が「静かな意識」であることを感じ続けてみてください。

どうですか、
いつの間にか思考につかまって、他のことを考えていたのではないでしょうか。

静けさを感じているつもりが、
気づいた時には違うことを考えていたか、
静けさを感じ続けようと努力し続けて、疲れたのではないでしょうか。

やり始めの頃は、そのようなものです。

覚醒状態になると、努力なしに静かに本質と一体になります。

思考も次から次へと湧いてきますが、その思考に気づき、捉われることなく思考が流れていくのに気づいていることが可能になります。

覚醒状態でも「ステキな旅行がしたい」「あれが食べたい」「ないよりお金があった方がいい」などの欲求は生じてきますが、目覚めてない人との決定的な違いは、結果はよくても悪くても、叶っても叶わなくても、どちらでもよいという点です。結果にはまったく捉われがない状態です。

覚醒とは一切の欲望がなくなるということではなく、その結果(手に入る、手に入らない)に対して、どちらでもよくて捉われのない自由な状態です。

なにかに縛られていないのです。

覚醒すると性格も個性もガラリと変わるのではなく、人によっては性格・個性がほとんど変わらない人もいます。

多少変化するかもしれませんが、変わるのは、目覚める以前とは比べようがないくらい静かで、平和で、幸福で、なにより自由だという点です。

また、嫌いな人や苦手な人を赦すとか、受け容れるとかではなく、赦す・受け容れるそのものの葛藤を超えた状態であるので捉われない状態ですが、その人たちを避けたりする場合もあります。

覚醒者が苦手な人を避けるのはおかしいと思う方も多くいらっしゃると思いますが、既にその意見は「避けるべきではない」ということに捉われていることになります。

避けるのもよし、避けても避けられないのであれば、それもよし、といった状態が覚醒状態ですのでとても自由です。

 

覚醒と悟りとはどのように違うのか、という質問を受けます。

どちらもひとつのネーミングであり概念ですが、あえて言うなら、覚醒状態なり悟りの状態がさらに深まると、それらのネーミングにはまったく興味を示さなくなるので、できればそこまで気づいてほしいということです。

名前(ネーミング)や形はひとつの対象です。

あなたの思考は必ずなにかの対象(人やお金・もの・状況など)について考え、思い悩みますが、覚醒状態では対象に意識を向けるよりも、本質に意識があるので、あらゆる対象から捉われることなく自由です。

神や光というネーミングもひとつの対象です。

「神」や「光」などとネーミングした途端、対象になってしまいます。

覚醒状態が深まりますと、対象に捉われることなく主体のみになり、果ては主体も対象もなくなりすべてになります。

ですから、真の理解において自分自身がすべてであり、神であり、光であると悟るのです。

 

「感謝は覚醒に気づくのに役に立つのか?」という質問をよく受けます。

欲求など何かに捉われている時、感謝は思考を鎮めて静かにしてくれます。

なにかに不足の思いや満たされない思いに捉われているとき、もう既に恵まれているところを探し、それに対して感謝するだけでも欲求からの捉われは少なくなります。

エゴとは欲求の束にほかなりませんが、そのエゴの根本は「わたし」という感覚です。

しかし、「わたし」を内に探しても、どこにも見当たらないのです。

なんとなくはあるかも知れませんが、これだという感覚はないはずです。

わたし・エゴ・欲求・思考・・・すべて幻想にすぎません。

欲求も次々に変化していき、その束が構成されて「わたし」になると言ってもいいかもしれません。

 

 

 

 このガイドブックに書かれていることをシンプルに申し上げると、あなたの本質である「源」、「静寂な意識」を何度も何度も確認してください。
感じてみてください。
あなたは既に「静寂な意識」なのですが、ただそれを忘れていて感じられないだけです。

源を感じるのに、ある程度思考を鎮める必要があります。
最良の方法は、まず「すべては神の意志によって起こる」という真理を受け入れることから始めてください。

「あなたの本質はなにものか」

「神の意志なしに物事は起こらない」

「この世は一つの夢であり幻とみなす」

-この3点をあらゆる時にも忘れないことです。
忘れないことを、気づき続けることです。
何かに捉われた時、このガイドブックの1ページを公式のように使ってください。
うまくいったと思っては元に戻り、そうしながら悟りが深まっていくことを忘れないでください。


 

 

 

 

 

  

ガイドブック『なにもない それ』から著者の了承を得て転載しています。

 

ガイドブック ページ54~55

ガイドブック

研修会ー一部紹介

 

T参加者:わたしは5年間インドへ探究の旅に出ていました。

そこで、わたしは自分の思考や感情と一体にならないで、ただそれらを観察することを学びました。

思考や感情を観察することは、かなりできるようになりましたが、観察することそのものに限界を感じ苦しんでいます。

観察することは間違いなのでは、と思っています。

 

講師:プロセスとしては観察することはOKです。

なにかをすることに捉われると必ず苦しみます。

あなたは観察することに捉われて苦しんでいるようですね。

では、観察する対象、つまり思考や感情に意識を向けることよりも観察者そのものに意識を向けるとどうなりますか。

 

T参加者:よくわかりません。

 

講師:わかりやすく言えば、あなたの意識は対象に向けているので主体そのもの、観察している源へ意識を向けてください。

また、観察しているのはどちらの自分かと問うことによって、源へ意識が向くでしょう。

 

T参加者:観察している源へ意識を向けると、なにもない・・・という感じです。

 

講師:そこには苦しみがありますか。

観察しようと努力するなにかがありますか。

 

T参加者:(しばらくして・・・)

なにもありません。なにか解放された感じです。

でも思考や感情の観察をしなくていいのですか?

 

講師:その質問をしているのはどちらの自分でしょうか。

 

T参加者:肉体だと思います。

 

講師:OK。では、本質は?

それをしばらく感じてください。

あなたの本質そのものと一体になると、自分は思考や感情でもないとわかる時がきます。

その時、努力なしに観察することができます、しかし観察している意識はありません。

そして、外界で起きている出来事を変えようとあくせくしたり、受け容れようと努力したり、赦さなければならないと思ったりしないでください。

まわりの人々をコントロールしたいという欲求を捨ててください。

あなたは、ただ起きている物事を成り行きにまかせて、神に委ねてリラックスするだけでいいのです。

リラックスできれば、起きているあらゆるものの中に最愛のものが存在していることを感じてください。

思考が湧いてきたら「これを考えているのはどちらの自分か」と問うてください。

静かになれば問う必要はありません。

あなたが感じようと感じまいと、あなたの本質・源は起きているあらゆるものの中に最愛なるものを観ています。

最愛なるものとは神なる存在です。

あらゆる出来事の中に神は存在しています。

怒り苦しんでいる時、悩みの中に、不安で眠れない中にも、人に拒絶されたり、愛する人に先立たれたり、人から騙されたり、大混乱に陥っている時にも、あなたの思考や感情の影響を一切受けることなく、常に変わらず存在しているものがあなたの源にあります。

それがあなたの本質です。

それと1秒間でいいですから一体となってみてください。

1秒間、思考をストップさせて感じてみてください。

(しばらく静寂につつまれる・・・)

あなたが静寂そのものだとほんの少しでもわかれば、静寂さから遠ざけるものはなにか、気づきをもってチェックしてみてください。

そうすれば、日に日に静寂が深まってくるでしょう。

深い静寂の中では自分自身は消え去ります。

チェックしてみてください、静けさから遠ざけるその瞬間を。

10回に1回でもチェックできればOKです。

そして、静けさに戻る、いくつかの方法を試してください。

ほんの少しの言葉で十分です。

方法に捉われないで感じてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガイドブック『なにもない それ』から著者の了承を得て転載しています。